[PR]
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
また、網走へ
本別の道の駅で迎えた朝も雨。
オホーツクの興部から北上、宗谷岬で南に転じて、
天塩、増毛と車中泊を重ねてきたが、
宗谷海峡あたりに横たわった秋雨前線は動く気配もなく、
業を煮やして、太平洋に近い本別まで移動したのが昨日だ。
行く先々で雨が降ったり、道が乾いていたり、霧が出たりと、
気象もめまぐるしき換わる。 北海道は広い。
今日は本別からどちらに針路をとるか迷ったが、
なぜか、網走に舞い戻った。
網走に近い小清水の、ふれあいセンターの温泉に入るためだ。
この温泉には、6日前に入っている。 500円の入浴料を払って。
しかし、HO (ほ) に、無料クーポン券がついているのを見落としていた。
今日は、無料で入浴するためだ。
そのために入浴料の数倍のガソリン代を使って (笑)
まず、本別から足寄、陸別を経て、津別に向かった。
陸別の道の駅はかつての陸別駅だ。
池北線が廃線になり、
第3セクタ-の 「北海道ちほく高原鉄道ふるさと銀河線」 が廃業しても、
駅の主要な施設は保存されている。
北海道の廃駅は数えきれないほどあるが、
保存され、コミュニティセンター化されて活用されているものが多い。
道民の、旧国鉄、鉄道、駅に対する思い入れの強さに感じ入る。
北海道の過酷な自然の中で、
物資輸送、地域振興に果たした鉄道の貢献度が抜群だったのだろう。
北海道を車で走ってもわかるが、とにかく人が住んでいない。
石炭が枯渇し、森林資源を伐採しつくしたら、
北海道の過疎の住民が利用するだけでは採算が合わないのは当然で、
だから廃線になったのだが、
道民の鉄道に対する愛着が一入だったろうから、
駅舎を残して往時をしのぶ心情に、同情を禁じ得ない。
保存されている駅舎を見るのが、辛くなった。
陸別を中心とした国道、道道は極端に交通量が少ない。
対向車にはめったに会わない。
その代わり、陸自の軍用車両の列には何度も出くわした。
陸別国道と言う愛称は、陸自街道と変えた方がいい。
十数台の軍用車両の車列に何度もすれ違うと、ドキッとする。
北海道は、仮想敵国・ソ連に対する最前線だったのだ。
津別の木材工芸館に立ち寄って、思いがけない展開となった。
置戸の森林工芸館を紹介された。 往復2時間かけて走った。
「北の我が家」 から、「我が家」 に家内を帰して、
一人旅を続けながら、ず~っと気にかけていたことが一気に解決した。
行く先々で、いろんな方のご厚意に助けられている。
ありがたいことだ。
今夜は、またも網走の道の駅。
着いたときは道が乾いて、青空が覗いていたのに、降ったりやんだりだ。
傘をさせば 「蒸気船」 に行けるだろう。
PR
- トラックバックURLはこちら