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北の我が家

2013 北海道滞在中の些事片々

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  • 07/08/02:34

北海道的スケール


新ひだか町から貸与を受けた住宅を 「北の我が家」 と呼ぶことにしたが、
「北の我が家」 の周辺は公共の建物に挟まれて、隣家は2軒しかない。
お隣さんと、道路を挟んだお向かいさんだ。
道路と言っても、除雪した雪を積み重ねるスペースを伴うから、やたらと幅広い。
交通量はきわめて少ない。 風通しの良い街並みだ。

お隣さんとお向かいさんには 「北の我が家」 での生活が始まった日にご挨拶した。
お隣さんでご挨拶したら、
我が家基準では2~3年分はあろうかと思われるほどの日高昆布をくださった。
「8月には新しい昆布が出回る。 
これは昨年の昆布だが、一年経った昆布が好い味が出る」
と言いながら。
一か月の滞在で消費する量はたかが知れているから、
残りは持ち帰って隣近所に配ろうか。

昨日、玄関周りの草むしりから始めた家内に、
お向かいさんが篭いっぱいのピーマンをくださった。 
半端な量じゃない。 30個はある。
家内に代わって私が草むしりを始めたら、
今度は、新冠温泉の回数券をくださった。 まだ未使用分が半分以上残っている。
夜には、野菜のあれこれを一抱え持ってご持参くださった。
北海道の野菜はデッカイドーだと知ってはいたが、
いただいた白菜も聞きしに勝る大きさだ。
他に、青梗菜も菜っ葉もカリフラワーもある。 袋一杯のミニトマトも!

北海道での生活を始めた10日に、スーパーに一通りの野菜を買い出しに行ったが、
量的にはそれをはるかに凌駕する。
私たちの買い物を見ていたかのように、重複する野菜がないから不思議だ。
北海道の野菜はそれ自体もデカイが、
北海道の人たちの量的な感覚もデッカイ。
内地の人とはスケールが違う。
3~4個のピーマンを 「これどうぞ」 と渡す内地とは桁違いなのだ。
そのうえ、気前がいい。 気前の良さでは、私も人後に落ちないつもりだったが、
完全に圧倒され、シャッポを脱いだ。

北海道の人たちは、みなさんこうなのだろうか。 それとも、
「北の我が家」 のお隣さんとお向かいさんだけが例外的存在なのだろうか。
滞在二日目にして知った、北海道的スケールだ。
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静内灯台


昨日10日は、山梨で39℃を超えるなど、内地の多くの地点で猛暑日を記録した。
月末に 「北の我が家」 を訪れる予定の郷里のMからのケータイが鳴って、
開口一番、彼の口から出たのは
「こっちは暑い。 暑うてかなわん。 そっちはどうか?」
即答しようとして、少し考えた。
「こちらは涼しい。 半袖シャツの下に長袖のTシャツを重ね着した」 などとは、
気の毒でとても言えない。

今朝は、涼しい、というよりも寒さで目が覚めた。
タオルケットを2枚重ねても足りずに、その上に夏蒲団を掛けた。
「北の我が家」 で、最初の朝をこのような寒さで迎えるのは期待通りだ。
天候は気紛れだから、
これから先、どのように新ひだかの夏が展開していくのか予測できないが、
少なくとも、今朝は期待通りだ。
この寒さを求めて北海道の夏に憧れたのだ。

「北の我が家」 には、自転車が2台置いてある。
自由に乗り回していい、ということだからさっそく使わせていただく。
薄手のジャンバーを羽織る。 これでちょうどいい。
静内川の河口近くの河川敷は広大な緑地公園だ。
少しさかのぼると 「シベチャリの橋」 。 川幅が最も広がった地点に架かる橋で、
橋全体で遠景の日高の連峰をデザインしている。
歩道橋で、自転車から降りて渡らなければならない。
対岸に渡って、河口の静内橋へ、そして 「北の我が家」 へ。
所要時間約50分。 適当な朝のサイクリングコースだ。 もちろん歩いてもいい。

この半年の間、新ひだかの地図を矯めつ眇めつ眺めて、
思い描いていた朝の1時間の過ごし方が、これで決まった。
対岸の小高い丘陵の上には、静内灯台が立つ。
全国の360余基の灯台めぐりをすれば、気に入った灯台の10基や20基はある。
静内灯台はその中には入らない。 しかし、忘れられない灯台なのだ。
整備された緑地公園の一隅に立っていて、ステンレスの扉が新品で綺麗だった。
全国360余基の灯台の中で一番きれいな扉だった。
他人に、シャッターを押してくれと頼むのが嫌いな私は、
一人旅の旅先での自画像はほとんどない。
でも、静内灯台でだけは、ステンの扉に映った自分をカメラに収めた。
それほど、鏡のような、きれいな扉だったのだ。
左右は逆に映ったが‥‥。

今日、配達時間を指定した宅配便が届いたら、静内灯台と再会する。
扉は輝いたままだろうか。

今日の記事から 「北の我が家」 という表現を用いている。
一か月間滞在させていただく静内町の 「ちょっと暮らし 体験住宅 A」 のことだが、
これをこのブログのタイトルとする。
これから一か月間は、この家が 「(私の) 北 (海道) の我が家」 なのだ。

買い出し


7月10日。 新ひだか町三石の朝。
屋根をたたく雨の音で目が覚めた。
全天を雨雲が覆って、遠い山は雲がかかって見えない。
暗い朝だが、北海道の夜明けは早い。 
私が住んでいる街との、日の出と日没の時間差は1時間は優にある。
小さい島国を東西に分けて時差を設ける必要はなかろうが、
東日本はサマータイムを設けてもよさそうな朝の早さと明るさだ。
それだと、時差があるのと同じことになるが‥‥。

新ひだか町役場には10時に参上すると伝えてあるので、それまで時間つぶしだ。
静内駅で、静高生と農高生の通学風景をボケーッと眺めるが、
それもつかの間、また長い時間がゆっくりと流れる。
痺れを切らせて、9時半に役場に到着。
わがまちPR戦略室で契約書に押印、説明を受けて、静内川にほど近い住宅へ。

一か月間の居住体験に必要な用具・備品はすべて揃っている。
無いのは寝具だけで、これは車中泊車に十分な備えがあるから搬出すればいい。
新規に用意するのが調味料と食糧で、
あれもこれもと、贅沢に慣れた食生活では、用意するだけでかなりの買い出しだ。
一か月もの長丁場、となれば致し方ない。
買い物カートに買物籠を二つ積んで、車まで3往復した。

静内は、苫小牧から南東、襟裳岬までの間の街では、最も買い物がしやすい街だ。
何でも揃う。
セルフのGSでは、プリカでガソリンを入れた。
美味しそうなケーキ屋も見つけた。
この便利さは、現代人にとっては最も必要だと思う。 
楽をし、そこそこに贅沢をしようと思えば‥‥。

この日は、長旅と買い物に疲れて、バタンキュー。

北海道上陸


2日かけて遠い長い陸路を走り、
青森東ICを出て浅虫温泉で汗を流し、道の駅で車中泊。

9日の朝は3時に起きて、津軽海峡フェリー乗り場に4時前に到着。
HI-ACE のおじさんと、それぞれの車中泊車を自慢比べをしながら出航を待つ。
おじさんの車は丁寧に、几帳面に、器用に作られていて参考になる点もあったが、
私の車だって5年の車中泊歴の叡智を結集して、
フルモデルチェンジ3回目の架装を施している。 
どんな車にも負けやしない、などと気負ってみる。 井の中の蛙の争いだ。

北海道上陸は午前9時。
まずは函館朝市の 「むらかみ」 へ。
ここのうに丼を食べて、初めて北海道に来た、と実感できる。
商売上手な店員さんたちで、一年前の私を覚えているという。
「俺って、そんなに印象に残る男だったっけ?」
まぁいい。 覚えていると言われて悪い気はしない。



カーナビは新冠の道の駅まで11時間余の道程だと告げているが、
それだと走り続けても夜9時過ぎの到着になる。
北海道では、極力、高速道を使わないと決めているから、
ともかく、噴火湾沿いに下の道をたどる。
車の流れに合わせて、法定速度を少しオーバーする速度で走っても、
午後6時には新冠の道の駅に着いた。

新冠にも温泉はあるから車中泊の候補地に選んでいたのだが、、
私は三石の昆布温泉のファンだから、この時間なら三石まで走ろう。
途中、静内の日産レンタカーに寄って13日から3日間の予約を確認し、
次に、10日から一か月を過ごす住宅を確認し、三石の道の駅で車中泊。

北海道の最初の夜は、三石の道の駅での車中泊で、
ここを車中泊で利用するのは一年ぶりだ。
一年経って、北海道で過ごす2か月間の最初の夜を三石で迎えるとは、
その時は夢にも思わなかった。
この一年間にいろんなことがあった。
ハイライト中のハイライトは、静内での、移住体験1か月が許可されたことで、
その通知を受け取ってからの半年は、
私の頭の中は、大半が北海道であり、静内だった。

いよいよ、一か月間の得難い (であろう) 生活体験が始まる。

明日出発


ついに7月6日になった。
明日、7月7日早朝、北海道に向けて出発する。
北海道の新ひだか町・静内には10日の午前に到着すればいい。
余裕のあるゆっくりした旅でもないが、爆走を重ねる旅でもない。
途中、寄り道をしてもいいが、関東甲信は梅雨明けしたという。
猛暑日の街をふらつくこともなかろうから、当初の予定コースか。

数日前に、準備はすべて終えたつもりだったが、
直前になってみるといろいろとあるものだ。
積み込みは全て完了した。
紅組のトリは家内の衣類で、白組のトリは私のワインだ。
向こう一軒、両隣りへの挨拶も済ませた。
年老いた母が留守番をするとは言うものの、ご近所さんに監視を願った。
サッポロビール園での予約、日産レンタカーの手配、すべてOKだ。

わが愛車のステッカーも、これでよかろう。







3度目になる北海道までの道中記は、もう物珍しくもないから、書かない。
次の記事は、北海道についてからの滞在記になる。