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北の我が家

2013 北海道滞在中の些事片々

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  • 07/07/12:08

北海道の日本海


新ひだか町での滞在が残り一週間を切ると、
気が早い私は、そろそろ退去モードに入って、気が落ち着かなくなる。
与えられた期間を目いっぱい楽しむことができない性分なのだ。
それではいけない、と、
昨年家内を案内して見ることができなかった利尻富士を、
対岸のサロベツ原野から眺めさせることにした。
天塩町の天気予報と利尻島の天気予報にお日様マークがついていたからだ。

つい先日、トマムから北竜町まで日帰りで出かけているから、
その足でサロベツまで走ればどうってことはなかったのに、
その時は車中泊の用意がなかった。
車中泊用の寝具類は、そのまま 「北の我が家」 で使っているから、
いざ、というときに使えない。
教訓。 車中泊用の寝具はわが愛車から動かすな!

新ひだか町からちょいと足を伸ばせば襟裳岬で、
サロベツ原野からちょいと足を延ばせば宗谷岬だ。
北海道の南北にいちばん長い地点を南から北へ駆け抜けたことになる。
そりゃ、時間がかかる。

朝7時に静内を発って、11時に留萌。
丘の上の留萌灯台を見上げ、振りかえればオロロンブルーの日本海。
道端には、全国で二つしかなかった青灯台を記念した潮見公園がある。
(因みにもう一つは、わが郷里の防波堤の灯柱がそうだった)
その公園で、バックドアを開け、テーブルを出し、椅子を出し、
味噌汁を作って朝食兼昼食。


それからまた走って、サロベツ原野の小公園に2時着。
肝心の利尻富士は頭の部分しか見えず、島影はぼんやりと雲の中。


それでも昨年が0点なら、今年は50点だ。
来年は満点といきたいものだ。
今年は途中で天売島、焼尻島をぼんやりとながら見ることができた。
これは大収穫だ。

初山別の道の駅は、岬まつりで混雑していたから、
羽幌の道の駅・ほっと♡はぼろ で車中泊。
朝食は小平の道の駅・おびら鰊番屋の海岸の駐車場で。
簡単な朝食だったが、今朝も味噌汁を作った。

増毛から南方を見ると、連山の頂付近に残雪が見える。
東から署寒別岳、群別岳と続き西端は雄冬山か。
流石に高緯度の山は1000m前後の山でも、本州の2500mに匹敵する。
残雪と高山植物の分布がそれを物語っている。
西端の雄冬山を見て、にわかに雄冬岬の存在を思い出した。
かつて、陸の孤島・雄冬岬に灯台があった。
今は10㎞南の幌灯台がそれに代わっているが、
雄冬岬、名前からして北海道らしくていいじゃないか。
雄冬の集落に入ったら、雄冬岬展望台の案内が。 
立派な駐車場があり、トイレもあり、遊歩道の階段も立派だ。
展望台はもっと立派で、鄙には稀な展望台だ。
冬季は閉鎖、夜間も閉鎖というのが、馬鹿どもが入り込まなくていいのか。
肝心の雄冬岬の展望は、角度的にイマイチだったが‥‥。
でも、幻の雄冬岬を眺めることができた。 今日最大のハイライトだ。


展望台を降りて、海岸からの雄冬岬


渋滞気味の札幌市内の運転を家内に任せて、3時過ぎに静内に帰った。
北海道に来てから、雲に覆われ、白っぽい感じの太平洋しか見なかったが、
昨日と今日、
夏らしい日本海のブルーを堪能した。
新ひだか町に帰れば、途中で眺める太平洋は碧くはないが、
日高地方の涼夏を演出しているのが海霧なら、これは我慢すべきだ。
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散髪屋さんにて


数日前に来訪した郷里の友人と 「赤ひげ」 での夕食に同行した時、
商店街の一角に、
自分の苗字と同じ苗字を屋号にしている散髪屋を見つけた友人は、
「静内に、俺と同じ名前の散髪屋がある。 お前、利用してやれ」
と言った。
でも私は、その散髪屋さんと至近の距離に、私の苗字と同じ苗字で、
それを屋号にしている散髪屋さんをすでに見つけていたのだ。 
友人と私と、二人の苗字を屋号にしている散髪屋さんが二軒もあるとは、
それも4~50mの距離にあるとは、偶然とはいえ、驚きだ。

北海道に来る前に散髪をして、一か月以上たったので、
今日、散髪に行った。
むろん、私と同じ苗字の散髪屋さんだ。 友人には申し訳ないが‥‥。

店のご主人とは、散髪をしている間中、喋り続けた。
その散髪屋さんのご先祖は、秋田の人らしい。
樺太に渡り、ご主人も樺太で生まれ、引き揚げてきた、と言う。
私の先祖は広島県の瀬戸内海の島の人だ、と言うと、
私たちの苗字は、それほどたくさんある苗字ではないが、
広島県発祥の一族もあるのか、と新発見をしたような様子だった。
元をたどれば同じ一族かもしれない、ということで決着を見た。

散髪屋さんが語るところでは、
新ひだか町は 「涼夏小雪」 でいいところだから、 
雪投げも苦ではないが、これが北海道の他の地方では大変だよ、と。
そして、年を取ってからは医療面での不安が一番だ、とも。
さしあたっての私は、北海道定住は予定になく、
段階的に、
シーズンステイから二地域間居住へと滞在期間を延ばしたい、
という希望だから、
北海道に来るのに3日間の陸路移動に耐えられる体力があるうちなら、
医療面での不安は考えなくて良さそうだ。
よしんば、静内で倒れて、苫小牧まで運ぶ途中で息絶えても、
北海道で、静内で送る無雪期の生活に憬れた私なら、本望、というものだ。

その散髪屋さん、私の期待に沿う散髪をしてくれたので、
一か月先に、北海道を離れる前に立ち寄って、
もう一度散髪をしてもらおう。

雲海と向日葵


今朝は2時半に起きて3時に出発。
2時間の行程で、目指したのはトマムだ。
昨日に行こうか、とも思っていたのだが、
現地の 「雲の仙人」 による雲海の出現予想率は40% 。
今朝の予想は60%だったのだ。

トマムの雲海には3つのパターンがあって、
1つはトマム型と言って、低いところの雲を見下ろす貧弱な雲海だ。
もう1つは十勝型と言って、東方から日高山脈を越えてくる雲海だ。
地形と気象の条件が合って初めて実現する、絵になる雲海だ。
3つ目は荒天時の雲海で、
山の斜面を霧が上昇し、山にまとわりつくから五里霧中になる。
高い場所 (たとえばトマム山頂) に登れば雲海に見えることもあるが、
その場所を探すのにキリキリ舞いしなければならない。

今朝の雲海は 「雲の仙人の弟子」 が、
開口一番 「おめでとうございます」 と言うほどのいい出来の雲海だった。
雲海の層が少し低かったので、点数をつければ80点か。
しかし、80点なら上出来だという。
雲海を観れずに帰る観光客もいるらしいから。











「雲のテラス」 で雲海を眺めながらスープとパンの朝食をし、
乗客が乗っていない空のゴンドラが目立ち始めたころ、山を下りた。
友人・知人が来訪すれば案内することもあるだろうが、
そうそう何度も訪れる山ではあるまい。 でも、一見の価値はある。

トマムから北竜町まで走った。
2日前の北海道新聞に、日本一の向日葵畑が満開、と載っていて、
向日葵が好きな家内に見せてやろうと思ったからだ。
しかし、どうも新聞報道はあてにならない。
わが町で、菜の花が咲くころもそうだったが、
どうやら、新聞記者は自分の目で確かめて記事を書かずに、
過去の記事を流用しているのか、と思わざるを得ない記事に遭遇する。
これは、新聞社として恥ずべきだ。 真実を報道していないから。

北竜町で、向日葵は確かに咲いていた。
半分の畑は満開と言っていい。
でも、残りの半分は、未だ咲き揃っていなかった。 がっかりした。
桜なら、これを 「満開」 と言わない。 せいぜい六分だ。





帰路、門別町の 「とねっこの湯」 に入って帰った。
新しくて、いい温泉だ。
湯上りが涼しい。
昼間、訪れた北竜町は暑かった。 記録では27℃くらいだったらしいが、
新ひだかで3週間暮らした身には、30℃超に思えたほどだ。
新ひだかでは最高気温でも22℃くらいだから、
日高の海岸と、内陸の空知とでは5℃も違う。 この差は大きい。
昼間、北海道に来て初めて冷房を効かせて走った。

夕食は、そろそろ、冷蔵庫の在庫整理に入った。
静内町での滞在も、残り一週間だ。

の~んびり いこうや 北海道


北海道の広い範囲で濃霧が予報されていた今日、
静内の 「北の我が家」 から見る北の新冠方面は霧に包まれていた。
午後には、南の真歌の丘も霧に包まれた。
真歌の丘が霧に包まれたら、私の出番だ。
霧の牧場を見に出かけた。
私は霧に包まれた牧場風景が好きだ。 
余計なものは霧に隠れるから、幻想的でもある。

私は霧が出る毎に、真歌の丘に出かける。 車で5分だから、
本当に嬉しい場所に 「北の我が家」 がある幸せを享受している。











先般、「ちょっと暮らし体験」 をしている6家族が参加して、
町主催のバスツアーがあった。
その折、静内警察署のお巡りさんから交通安全のお話があり、
交通事故のデータ資料と、
「の~んびり いこうや 北海道」 のステッカーが配られた。
バスやタクシーに貼られているそれを見て、欲しいと思っていたから、
「署に行けば、何枚かいただけるか?」 と聞いたら、
「ぜひ来てください。 差し上げます」 と言う返答だったので、
今朝、署に、いただきに参上した。

交通課には別のお巡りさんがいて、「ステッカーの在庫はない」
無いものは仕方がないけど、
「署に来たら、あげる、 と言われたから来たのだけど」 とだけ言って帰った。
交通安全のステッカーなんて、何枚もべたべた貼るものじゃないが、
少し残念だった。
すると午後に、玄関のチャイムが鳴った。
先日のお巡りさんだ。
「部下が、ステッカーの保管場所をよく承知していなくて」 と平謝りだ。
差し出す封筒を見れば、使いきれないほどのステッカーが入っている。
私が不在の場合を考えてか、詫び状まで入っている。
きっと、町役場の I 女史に私のことを聞いたのだろう。
「北の我が家」 から警察署まで車で1分だが、
わざわざ持参してくださるとはこちらが恐縮する。

それからも、私が警察署に出向く展開があり、
その時は、ステッカーの在庫がない、と言ったお巡りさんが平謝り。
その後、警察署から電話がかかってくる展開もあったが、
いずれにしても、おおらかな北海道らしい、静内警察署の対応だ。
とても人間味がある交通課のお巡りさんお二人で、
私は静内警察署の交通課が大好きになった。

交通課長さんは私の顔を覚えただろうから、
これで、
静内警察署管内で軽微な違反をした時に、
大目に見てくれれば、なお好きになるのだが‥‥ (笑)

一泊二日 洞爺湖


30日から31日にかけて、洞爺湖の友人宅を訪れた。
お土産は、30日に届くように、
北海道に向けて出発する前に宅配便で手配済みだったから、
特別に用意するものはご仏前と数珠だけだ。 
数珠は、わが愛車に常備している。
一か月前倒しした13回忌には間に合わなかったが、
6年ぶりに焼香してきた。

彼とは伊豆の伊東で1年半、同じ会社にいただけの付き合いだが、
週に1・2回は二人で飲み歩いた。
仕事仲間と言うよりは飲み友達だった。
彼がいない2年半の伊東では、一人で飲み歩いたから、彼は特異な存在だった。
彼と洞爺湖とのつながりは、彼の奥さんの実家が洞爺湖畔にあったからだ。

彼の奥さんの実家は洞爺湖畔の丘陵地に広大な土地を持ち、
そこに洒落た家を建てている。
周囲には別荘が多く、その中ではひときわ大きい建物だ。
手入れが行き届いた庭は広く、前方には洞爺湖が。



天下の洞爺湖を借景とするなんぞは、私には到底できない。
彼の奥さんは、
フランス料理のフルコースを供するオーベルジュを用意していてくれた。
生前の彼が溺愛した愛娘も加わって、4人で食事した。

「フェニックス洞爺クラブ」 は こちら

私が持参したワインは、
Sancerre La Bourgeoise Blanc 2010 Henri Bourgeois
高価ではないが、私の25年のワイン歴で一番好きになった白だ。
赤は、
Chateau Beychevelle 2009 Saint-Julien
遠距離の輸送に耐える、若いワインを選んだ。

彼の奥さんは、
庭の手入れも、除雪も女手一人でこなすスーパーウーマンで、
パン作りの講師もしていた凄腕だ。
翌日は私たちが持ち帰るパンを焼いてくれた。
そのパンは、支笏湖畔での昼食に、ちぎって食べた。 絶品だ。
「北の我が家」 に戻って、お向かいさんにおすそ分けした。
おそらく、
「これがパンなンだ。 いままで食べていたのはなんだったの?」
なんて会話が交わされたいることだろう。

充実した洞爺湖行だった。