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北の我が家

2013 北海道滞在中の些事片々

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  • 04/27/23:03

2014・夏・北海道


さすがに、北海道は寒い。
北海道のこの時期には夜中の3時半を過ぎれば、ほんのりと明るんできて、
下関との時間差がゆうに1時間を越えるのは承知しているのだが、
その3時半に、
朝を思わせる明るさではなく、寒さで目が覚めた。

室内外ともに14℃と少しの気温だろうか。
下関と北海道のとの気温差が8℃から10℃あると知りながら、
七分袖の肌着とパンツ一枚で寝た私が馬鹿だった。
夏には、寝巻をを着ないで寝る私は、
寒いとなれば長ズボンを穿き、長袖シャツを重ね着するしかない。
この寒さというか涼しさを求めて、三年来、
毎夏北海道に渡っている私としては、何ともお恥ずかしい話だ。


1日に、新門司港を 16:50 に出港した名門大洋フェリーは、
レストランでの夕食はバイキングで、
大皿に山積みされた明太を、支払った料金に見合うだけの量を食べて、
大満足で翌2日の 05:30 に大阪南港に着いた。
これまで、瀬戸内海の船旅はもっぱら阪九フェリーを利用してきたが、
あれほどの明太が食べれるなら名門大洋も強力なライバルになる。

敦賀港発の新日本海フェリーは翌3日の 01:00 だ。
それまでの18時間前後をボケ~っと待つわけにもいかないから、
能登半島旅行に充てた。
珠洲の見付島は、能登を四度訪れて、初めて間近に見た。
先端の狼煙にある禄剛崎灯台を訪れるのは3回目。
揚浜塩田を見るのは三度目。 今回は塩を土産に買った。
千枚田を見るのも三度目。
輪島の街を訪れるのは四度目。 家族の人数分の箸を買うのも四度目だ。 
輪島市の某所ではGS三店の競合が続いていて、相変わらず安かった。
18時間で大阪南港から能登半島の先端まで走り、
敦賀港まで帰ってくるのは時間的には余裕があるものの、
かつて、爆走を得意とした私にとって、久々の爆走となった。

敦賀~苫小牧東港の船は日本で最大級の外洋フェリーだ。
進水してから3年と間がない。 新造船と言ってもいいくらいだ。
新しい船は好い。 大きい船もいい。 
が、豪華客船のように大きすぎてはいけない。
船では、朝、昼、夜の食事をとるが、
苫小牧に 20:30 に着いたら運転するから、飲むのは昼食時までだ。
グリルで魚料理と肉料理が付いたフルコースを注文し、
北海道産のワイン赤・白をハーフで注文した。
北海道上陸の前祝だ。

夜の日高道を走って、その日のうちに新冠の旅人宿・ふかふか亭 へ。
すでに始まっていた経営者と宿泊者の酒宴に飛び入り参加し、
翌朝はかまびすしいウグイスの鳴き声に起こされた。
そして昨夜は 「北の我が家」 で寝て、寒さで眠れなかった、という展開だ。

今朝も、日高の夏らしい薄曇りの空で夜が明けている。
この曇り空が、私の好きな涼夏を生む。
私の場合、夏の北海道では、好天の青空は一切期待してはいけない。
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ご挨拶


「北の我が家」 は、
来年の夏、また北海道滞在が実現すれば復活させます。

それまでは、願望を込めて 「北へ」 に身辺の些事片々を綴ります。
こちら です。

お時間が許す方はお立ち寄りください。

今年の夏が終わった


暑い夏の下関を逃れて、ひと夏を北海道で過ごせたら‥‥。
こんな、夢のような夢を持ち始めたのはいつのころからだろうか。
私の中で、そんなに長い歴史を持ってはいない。
家業を廃業してから、せいぜい数年来持ち続けた夢でしかない。
昨年、一か月間、北海道をうろつきまわり、
今年は、新ひだか町静内に一か月間滞在して準町民として生活し、
その後の一か月間、道内に居続けた。
北海道の夏は遅く始まって早く終わる短い夏だ。
7~8月の二か月間北海道に居れば、一応、北海道の夏を経験した、
と言えるだろう。
数年来の夢が叶ったけれど、人間の欲望ってきりがないもので、
もう既に、来年は三か月間程度の滞在を、などと夢を膨らませている始末だ。

静内での一か月間の滞在には、
新ひだか町の強力なバックアップがあって初めて実現したことだ。 
お陰で、得難い、貴重な体験ができた。
このことを真っ先に感謝しなければならない。

「涼夏小雪」 この言葉を最初に目にしたのは、
昨年道内をうろついていて、新ひだか町を通った時だ。
その言葉に偽りはない。
後半の一か月、道内の各地で、
会って会話が交わせる人に 「静内に一か月居た」 と言うと、例外なしに
「あぁ、いいところだね。 北海道で一番いいところだ」 と返ってきた。
北海道民にとって静内の暮らしやすさは定評があるところなのだ。
静内に住むことは、一種のあこがれに近いものがあると感じた。

夏の静内は、決して明るい街ではない。
海霧(ガス) で青空が覗かないから、夏の陽の輝きがない。
だから太平洋の海面は白く、遠い日高の山並みは望めるわけもない。
それらを代償として 「涼夏」 がある。
そして、私はその涼夏を期待して津軽海峡を渡ったのだから、
静内の、夏らしくない夏は、望むところだったのだ。

「北の我が家」 からほど近い真歌の丘にはよく霧がかかった。
霧がかかったと見るや、真歌の丘に登った。
一面に霧が立ち込めて、道路脇には柵で囲われた広い放牧場がある。
緑したたる緩やかな丘陵だ。
牧場主の家や厩舎が、ボォゥと霧の中から浮かびあがる。
街路樹は遠近で濃淡が分かれる。 その木が白樺ならいうことはない。
そして、空気は肌寒いくらいに冷たい。
私が漠然と描いていた、涼しい夏がイメージ通りにそこに展開している。
家内が自転車で温水プールに通っている間、
私は真歌の丘に車を停めてボケーッと佇む。 何もしない。 何も考えない。
その至福の空間に身を置いているだけでいい。
最高に贅沢な時間だった。

静内が、新千歳空港から1時間の距離、というのは大きな魅力だ。
母の、一週間程度の滞在は実現しなかったが、
郷里の同期生や、ワイン仲間の訪問を受けた。
その度に、片道1時間の距離は送迎を容易にさせた。
福岡~新千歳間の航空運賃は、上手く購入すれば、
青森~函館間の、車一台分のフェリー代金よりも安い。
新ひだか町や、日高の町々が移住者を含めて誘客を狙うなら、
新千歳空港に直行便がある地域に的を絞ることだ。

静内の街の良さは、街の大きさにもある。
大きすぎず、小さすぎない。 商店には一応、何でもあり、何でも揃う。
温泉があり、桜の名所があり、アイヌと開拓の歴史もある。
広い河川敷にはパークゴルフ場がありスケートリンクもある。
家内が通った温水プールもあれば、乗馬を楽しむこともできる。
北海道ではフツーのことだが、紫陽花と向日葵とコスモスが同時期に咲く。

これも北海道ではフツーのことだろうが、静内の人の人間味と人情味だ。
お向かいさんからは実にいろんな物を戴いた。
それも北海道スケールで大量に。
居酒屋の 「赤ひげ」、ラーメン屋の 「寶龍(隣りの新冠町)」 の人たちとは、
随分親しくなった。
二軒の散髪屋でも話が弾んだ。

静内での滞在を終えて、道内をうろつきまわったが、
それぞれの土地で、いい思い出ができて、いい印象を持った。 
が、それでも、
来年もまた、長期間滞在したい街となれば、静内だ。

わが愛車の走行距離は13587km
この他に道内をレンタカーで 1500km 走っている。
昨夜、泉大津~新門司間を阪九フェリーで楽をしたが、
陸路を走れば走行距離はもっと伸びていた。
でも、今回の旅は走行距離を自慢する旅ではない。
「ひと夏を北海道で」 を確認する旅だったから。
いい夏が送れた。 
多くの方々に感謝して、このブログ 「北の我が家」 を終わる。

明日からは別のブログを立ち上げる。
ありがとうございました。

途中で切り上げ


北海道の太平洋に面した地方が、夏、霧に覆われるのは納得づくだ。
その霧によって、私が求めて行った涼夏が得られるのだから。
静内での滞在を終えて、道東を中心にうろついた。
根室海峡を3回通過しながら、
結局、海霧で国後島を見ることができなかったが、
それはそれで我慢できる。
しかし、道北を訪れてからは停滞する秋雨前線の真下に入ってしまい、
どこに行ってもロクな天気はなかった。
積丹半島から道南にかけて移動したころは晴れた日もあったが、
その晴天は二日と続かなかった。
青い太平洋を、オホーツク海を、日本海を見た日が何日あっただろうか。
それを裏返せば、
北海道で30℃を超える暑い日を経験しなかった、ということになる。

津軽海峡を渡ってからは、天候はさらに悪化した。
東北自動車道で、磐越道で、北陸道で、信州の峠道で、
運転をやめたくなるような豪雨に何度遭遇したことか。

金沢のホテルで迎えた今朝は、
東尋坊に着くまではかろうじて持ちこたえた。
でも、柱状節理の安山岩の岩の上に立った時、ポツリと来た。
それが、すさまじい叩きつける雨の始まりだ。
南九州にあった台風は温低に換わっていたが、
温低の少し先からは停滞前線が近畿から北陸にかけて伸びている。
東尋坊の次に訪れようとしていた永平寺、郡上八幡は、
その停滞前線の真下にある。 
土砂降りは目に見えているから、行っても無駄だ。

福井の街に入る手前で思った。
もう、土砂降りの雨の中を運転するのは、もう、たくさんだ。
もう、帰ろう。
時刻は12時。 泉大津まで走れば阪九フェリーに間に合う。
ネットでの予約は時間切れだったから電話で予約。
北陸道に入った。
福井から琵琶湖東岸まで土砂降り。
多くの車がPAやSAで雨がやむのを様子見している。
私もそうしたいのはやまやまだが、
フェリーの乗船時刻までには泉大津に到着しなければならない。
土砂降りの叩きつける雨と、車の直進を妨げるほどの強い風の中を、
ひたすら走った。
フェリーの出航時刻には1時間半を余して泉大津に着いたが、
もう、雨の中を走るのはイヤだ。

いま、阪九フェリー 「つくし」 は、小豆島の沖あたりか。
はるか北の方角に目を凝らせば、
小豆島の2つの灯台の点滅が見えるはずだが、デッキに出るのも億劫だ。
雨中の運転に疲れ果てた。
その分、雨天での運転は上手くなった、かな。

明石海峡大橋を通過時に。


能登・金沢


昨日の朝、射水の道の駅では青空が見えた。
高岡から能登路に入ると空から青空が消え、一時ぱらついたが
狼煙(のろし) の禄剛埼(ろっこうさき) 灯台まではとにかく天気はもった。
その途中の、七尾駅前と、能登中島も思い出の地だ。

おふくろのおふくろだから私の祖母は、明治初期の人で、
能登中島で生まれ、信州望月に嫁いだ。
先祖の墓にお参りしたい、というのはおふくろの長年の夢だったらしく、
望月の役場で、祖母の出生地を調べてきた。
ところが、「能登の中島町」 を 「能登の中鹿島町」 と誤ってメモしたらしい。
おふくろがルーツを尋ねる旅には、東京で学生だった私が同行した。
40数年前の話だ。
能登に行っても、中鹿島町なんてありゃしない。
それでも、人間を引き寄せる力には不思議なものがあって、
おふくろが祖母から聞いた話は断片的に覚えていて、
当の、中島町あたりには行っているのだが、
日曜日で役場が閉まっているし、駐在所もカラで、誰にも聞けない。
仕方なく七尾駅まで引き返して、どうやら、中島町の間違いだと結論した。
当時はそれほど電話が普及してなくて、
中島町に、祖母の生家の苗字は6軒ばかりしか電話帳に載っていなかった。
片っ端から電話をかけてみようと、ダイヤルを回したら、
最初のお宅が、目指す家だった。

七尾駅からタクシーに乗ったら、
タクシーの運転手が中島町の出身だという。
私たちが目指す家も知っている、という。
しかし、七尾から中島町までは遠い。
メーターはどんどん上がるが、フロントガラスを睨んだおふくろは動じない。
墓参はしなかったが、信仰心が篤い能登の大きな仏壇を拝ませてもらった。

七尾駅前はすっかり変わり、中島町も、私の記憶と一致するものはない。
40数年たっているのだ。 北海道も、信州も雪が多いところだ。
能登も雪が深い土地なのだろう。 能登中島駅にはラッセル車が置いてあった。


禄剛埼(ろっこうさき) 灯台は狼煙という場所にある。
地元の人は 「狼煙の灯台」 と呼ぶ。
灯台めぐりで能登半島を一周しているから、再訪だ。
いい灯台だ。


3300余基ある日本の灯台で唯一、
初点プレートに菊の紋章がついている灯台だ。


狼煙の禄剛埼灯台を後にしてから、雨が降り出した。
最近のいつものパターンだ。
富山から能登路に入った一番の目的は白米の千枚田を観ることだったが、
土砂降りになった。
眺望に適した道の駅は改修工事中。
離れた場所の駐車場に車を停めさせられ、土砂降りの中を歩いた。
思っていたよりも、小規模の棚田だった。 でも、見事な棚田だ。


輪島の街も土砂降り。
町並みも見ずに (見れずに?) のと里山海道で金沢に向かう。
のと里山海道も、それに続く能登道路も土砂降り。
この悪天候を予感して、私としては珍しく金沢のホテルを予約していた。
ところが、金沢のホテルに着いたら小降りになり、そのうちに雨も止んだ。
兼六園と、金沢城址へ。
兼六園。 有名すぎる 「ことじ灯篭」 の画像はあえて載せない。


金沢城。 さすがに加賀百万石の居城だ。


私と金沢を結びつける細い糸はたった一つ。
ワイン友達で、甲府で弁護士をしているB氏は金沢大学の出身だ。
その前身の旧制第四高等学校。


金沢という街は私には縁がなかった街で、いつも素通りだった。
西田佐知子が 「香林坊ブルース」、北島三郎も 「加賀の女」 で唄ってる。
その香林坊界隈で飲んでみたい、という思いがあったのも、
金沢でホテルを予約した大きな理由だ。
鹿児島に行ったら天文館で飲んでみたい、というのと同じだ。

フロントで薦められた 「味処 一合半 ぶん家」 という居酒屋に行った。
前菜の三点盛はあっさりした味付けで、これが金沢風なのだろう。
富山で食べ損ねた 「白エビのから揚げ」
昨日から水揚げが始まったという 「甘えびの刺身」
この地の特産の 「モズクの酢の物」
どれも美味い。 締めくくりは 「のどくろの焼き物」


カウンターに敷いてあった敷き紙を一枚記念にもらって帰った。
いつかまた再訪したい、気に入った店に出くわしたときに、
私がいつもすることだ。

金沢は緑が多い街で、昼間歩くのもいい。 美味い物があって夜もいい。
好きな街には好きな店がある。 
好きな店ができたからその街が好きになるのか。