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道東から道央へ
日付が変わったので、昨日 (23日) の記録になる。
まだ2週間近く残っているから、先のことはわからないが、
道東最後の夜は、網走の 「蒸気船」 で過ごした。
大将には、一年先にまた来るから、と約束して挨拶したら、
別れに、蒸しとうきび を2本くれた。
道東最後の日は、能取岬灯台を再訪した。
灯台めぐりで回った360余基の灯台の中で一番好きな灯台が、
網走から12㎞の至近距離にあるのも、何かの縁だろう。
蒸気船で食べて飲んで喋って、能取岬灯台を眺めたら、
道東に思い残すことはない。
道北の海岸線はぐるり一周しているから、中央部分に我が愛車を進めた。
日高自動車道が無料で通行できるように、
昨日は、旭川紋別自動車道で丸瀬布~比布北までと、
名寄美深自動車道で名寄~美深北までが無料だ。 得をした気分になる。
比布北~士別剣淵まで道央自動車道を使えばもっと速く移動できるが、
急ぐ旅ではないから、有料区間は下の道だ。
北海道では、アイヌの言葉にちなんだ地名がほとんどで、
比布(ぴっぷ) を通過した時は、
ピップエレキバンの創業者が、この土地の出身かと思ったりしたが、
pip は英語らしいから、見当違いだったか。
比布町の次は和寒(わっさむ) で、
この町を通るのは厳冬期の方がよさそうだ。 町の方には申し訳ないが。
名寄(なよろ)市に近づくと、ひらがなで書いた看板が目に入った。
「たよろ〇〇」
「な」 と 「た」 を間違えるなんて、と笑っていたら、
名寄市の南、士別市には多寄(たよろ) という名の地域があるのだ。
宗谷本線に多寄駅がある。
地名で、「しべつ」 には士別(市) と標津(町) があり紛らわしいが、
上川と根室で、距離的な隔たりがある。
アイヌ語から転訛した地名で多いのは 「内」 と 「別」 がつく地名だ。
「内」 (nay) は川のことで、また、沢と訳した方がよい場合があるという。
「別」 (pet) も川のことだ。
先住のアイヌ民族が川辺に居住していたからだ、という。
士別、紋別、津別、遠別、初山別、本別、浜頓別、女満別、湧別、愛別、
芦別、音別、陸別、秩父別 ‥‥。
今夏だけでも、ざっと思い出しただけで、
これだけの、地名に 「別」 が付く街を通った。
これらの地名が、変換イッパツで出てくるのだから、PCには恐れ入る。
今は車中泊の最中だが、車を停めているのは道の駅・絵本の里けんぶち。
士別市と和寒町の間にある剣淵町だ。
北海道の駐車場はどこも広いが、ここの駐車場は広い上に、いい。
本館前の駐車場に隣接して補助的な駐車場があるが、
四角い駐車場の周囲は広い芝生だ。
バックドアを開け、テーブルと椅子を出し、食事をすれば最高だ。
ただし、昨日は夕方から雨が降り出した。
来年、また来るから、それまでお預けだ。
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無情な海霧
道の駅・阿寒丹頂の里 での朝食は今日もフレッシュジュース。
内容は昨日と同じ。
9時に定時連絡を済ませて、阿寒国際ツルセンター へ。
ビジターーセンターや木工館は入館料をとらないから、あれば入館するが、
入館料をとる所は滅多に入らない。
でも、ツルセンターには入館料を払って入った。
駐車場は道の駅と共用、
しかもその入り口の真ん前で昨夜は車中泊したのだ。
最初に観たのは、丹頂鶴に似ているが、オグロヅル。
尾羽が白い丹頂鶴と異なり、尾が黒い。
生息地はチベットで、最も研究が遅れているツルらしい。
この写真を一枚撮るのに10分近くかかった。
絶えず、嘴を土中に突っ込んで餌をあさっている様子だし、
警戒心が強いのか、木の幹や枝を遮蔽物にして、
私の対角線に移動する。 中国産はどうも性格が悪い。
次に丹頂のコーナーに。
この写真を撮るのにも10分は要した。 なかなか、頭を上げないのだ。
木の葉が、最後まで邪魔だった。
業を煮やして一度は撮影をあきらめた、ツガイの鶴の前に戻ったら、
一旦通り過ぎた私への警戒心を忘れたのか、
柵の近くまで出てきて、沼沢の中で羽を広げている。
人間、諦めてはいけない。
羽を広げた丹頂鶴を撮れば、入館料のもとは取ったというものだ。
それから、どうしても国後島が見たいので標津に向かった。
朝の時点で、天気予報は正午頃は晴れ、とあったから。
しかし、東に向かえば向かうほど雨雲が低くなる。
根室海峡は、真ん中あたりまでは見えるが国後島はアウト。
三度目の正直を狙ったが、二度あることは三度あった。
渚の消波ブロックに並んだカモメを取って、
今回の国後島遠望は果たせず仕舞い。 こんなこともある。
しかし、
標津から根北峠を越えて斜里に出たら空っからの上天気。
こんなの、ありかよ。
標津の街に入る手前で、ラジオニュースは藤圭子の自殺を報道。
黒いベルベットに白いギター。 私が18~19の頃、一番好きな歌い手だった。
新宿コマのショーを観に行った。 私が上京した年だった。
芸人やタレントによくある、造られた生い立ちはどうでもいいが、
造られた生い立ちがよく似合う歌い手だった。
NHKのニュースだから、これは本当だろうが、
生まれは旭川だという。 明日、旭川の街に立ち寄ってみようか。
今夜は網走泊まり。
「蒸気船」 の大将に、私の名刺を渡す約束がある。
道東をウロチョロするのは今日が最後になる、だろうから。
陸自の車列を先導
昨夕、道の駅・しほろ温泉に着いたときは24℃。
今朝がたは14℃まで下がっていた。
温泉に入るとき、着替えを間違えて長袖のTシャツを持っていった。
おれもドジだ、と思ったものだが、夜中の温度からは大正解。
タオルケットだけでは寒くて、夏の掛け布団を引っ張り出して寝た。
いつものことながら、目覚めは早いのだが、
今朝は9時過ぎまで動かなかった。
9時に、家内に定時連絡をする前後は、
車に積んでた MAGIC BULLET でフルーツジュースを作っていた。
リンゴと、グレープフルーツ、バナナ、牛乳、蜂蜜で、だ。
私の車中泊もだんだん手が込んできたが、
このような行動を起こさせるには、気持ちの上でのゆとりがなければできない。
「我が家」 に帰るまでに、かれこれ3週間ある。
いつまでに、どこまで行かなければならない、という予定は全くない。
だったら、ばたばた動かずに、ゆっくリズムで行動しよう、
とはかねてから思っていたことなのだ。 やっと実行に移せた。
10時ころから動き始めて、音更のGSに給油に。
セルフのスタンドだけど、隣接して洗車場がある。
天候不順な北海道を走っているから、わが愛車は泥んこだ。
小一時間かけて洗車した。 それからどうしようかと迷った。
音更の気温は27℃くらいにまで上がっていた。
夕張方面という案を退けて、釧路に向けて走った。
もう、27~8℃の気温に耐えられない体になってしまっている。
釧路まで走れば、また、岸壁炉ばたで散在するから、
釧路の手前で北上、阿寒町の道の駅で車中泊をすることに決めた。
途中の道の駅・白糠恋問で昼食兼夕食を。
昨日に続き 「豚丼」 だ。
いろんな雑誌などにも取り上げられているB級グルメの旗頭だ。
客の側に好みの違いがあるから、
それぞれの店がそれぞれの商売をなさっていけるのだが、
私は、作ってから2時間後に、
冷めた状態で食べた、足寄の道の駅の豚丼の方が美味かった。
閉店後に無理を言った私に、いやな顔をせずに作ってくれた、
お姐さんの心意気が加味されていたから、ということにしておこう。
いつもは、北海道のあちこちで陸自の車列とすれ違うのだが、
今日は、道の駅・白糠恋問までは、
〇に火と書いた旗を括り付けた車列に前後を挟まれ、
法定速度で走る彼らと、法定速度を少し超過する私との差があるから、
最終的には彼らの車列を追い抜いた。
私が道の駅に着いてしばらくして、彼らも道の駅に立ち寄り休憩を取った。
私が豚丼を食べ終わって出掛けようとするのと、
別の部隊が休憩を終えて出発するのと一緒だった。
別の部隊の車列も追い抜いて、しばらくは私が先導する形になった。
わが愛車のアンテナに括り付けた赤いリボンが、
「我に続け」 と先頭を行く部隊長旗のようで面白かった。
だから、追い抜いてからはしばらく、
部隊の車列に速度を合わせて、彼らの先頭を走った。
結局、道の駅・白糠恋問までは、
陸自の車列に挟まれて、前後を護衛されるようにして走り、
白糠恋問からは、別の陸自部隊を先導したことになる。
陸自の部隊と一緒に走るなんて初めてのことで、わくわくした。
これも、北海道ならではのことか。
軍隊という物は、軍事力として無用の長物でなければならない。
彼らが、戦闘目的でなく移動するのは、ある意味、いい状態なのか。
それにしても、あれだけの車両と人員が移動するのだ。
随分と国費を使っていることだろう。 北海道にも相当な金が落ちる。
だから、道内いたるところに、
「自衛隊さんありがとう」 「歓迎自衛隊」 の立て看板が立っている。
道東の霧
二泊三日のパックツアーに参加したのを別にすれば、
北海道に3回訪れて、網走の 「蒸気船」 には4回訪れたことになる。
気に入った店のリピート客となれば、その店は 「馴染みの店」ということで、
網走の蒸気船は、静内の 「赤ひげ」 と並んで、
道内の馴染みの店の双璧と言える。
北海道滞在中に、もう一度訪れることを約して帰ったが、
さて、どうなることか。
網走の朝は雨の心配はなかったので、とりあえず東に向かった。
斜里岳や、知床の山が霞んで見える。
前回の知床峠越えは霧の中で、何も見えなかったから、
北海道に2か月もいれば一度は見ておきたい。 見えた。
羅臼に下ったら、一面の霧。 標津まで霧は晴れない。
ますますひどくなる。
国後島を眺めるのは諦めて、摩周湖に向かった。
昨年、家人と訪れたら、文字通り 「霧の摩周湖」 で、霧だけを見てきた。
根室海峡の霧と摩周湖の霧は違う、と勝手に決めつけて第一展望台へ。
タッチの差で、湖面を見ることができた。 対岸まで。
認識を改めたのは、摩周湖の霧は、
根釧の台地から外輪山を超えて入り込む霧もある、ということだ。
1時間後に到着したら、果たして見ることができただろうか。
第一展望台の駐車券は硫黄山駐車場の駐車も兼ねていたから、
ついでに立ち寄った。
屈斜路湖の 「砂湯」 にも立ち寄った。 相当に熱い。
写真の後ろ姿はどこの誰だか知らない。 外国人だった。
阿寒湖に立ち寄れば、また木彫りの店に寄って買い物をしそうだから素通り。
道の駅・しほろ温泉プラザ緑風 で入浴して車中泊。
HO (ほ) があるから、入浴料はタダ。
西に夕日が残り、東から満月が昇り、いい気分で食事だ。
ビールのアテは、豚丼の豚肉だ。
足寄の道の駅で、閉店後10分経った豚丼屋さんに無理を言って、
ご飯はフツーで、豚肉大盛りのスペシャルを作ってもらっていたのだ。
割烹・仕出しの 「熊の子」 が出店しただけあって、
造ってから2時間たって、冷えても美味い。
小さなパックに詰められて添えられたおかずの小品もしっかりしている。
しかし、当たり前だが、豚丼の豚肉はご飯と一緒に食べるのが美味い。
かば焼きのたれと同様、秘伝のたれを継ぎ足し継ぎ足し使っていて、
それがご飯にしっかりとしみ込んでいるのだから。
十勝では豚丼を食べようと思っていて、やっとありついた。
また、網走へ
本別の道の駅で迎えた朝も雨。
オホーツクの興部から北上、宗谷岬で南に転じて、
天塩、増毛と車中泊を重ねてきたが、
宗谷海峡あたりに横たわった秋雨前線は動く気配もなく、
業を煮やして、太平洋に近い本別まで移動したのが昨日だ。
行く先々で雨が降ったり、道が乾いていたり、霧が出たりと、
気象もめまぐるしき換わる。 北海道は広い。
今日は本別からどちらに針路をとるか迷ったが、
なぜか、網走に舞い戻った。
網走に近い小清水の、ふれあいセンターの温泉に入るためだ。
この温泉には、6日前に入っている。 500円の入浴料を払って。
しかし、HO (ほ) に、無料クーポン券がついているのを見落としていた。
今日は、無料で入浴するためだ。
そのために入浴料の数倍のガソリン代を使って (笑)
まず、本別から足寄、陸別を経て、津別に向かった。
陸別の道の駅はかつての陸別駅だ。
池北線が廃線になり、
第3セクタ-の 「北海道ちほく高原鉄道ふるさと銀河線」 が廃業しても、
駅の主要な施設は保存されている。
北海道の廃駅は数えきれないほどあるが、
保存され、コミュニティセンター化されて活用されているものが多い。
道民の、旧国鉄、鉄道、駅に対する思い入れの強さに感じ入る。
北海道の過酷な自然の中で、
物資輸送、地域振興に果たした鉄道の貢献度が抜群だったのだろう。
北海道を車で走ってもわかるが、とにかく人が住んでいない。
石炭が枯渇し、森林資源を伐採しつくしたら、
北海道の過疎の住民が利用するだけでは採算が合わないのは当然で、
だから廃線になったのだが、
道民の鉄道に対する愛着が一入だったろうから、
駅舎を残して往時をしのぶ心情に、同情を禁じ得ない。
保存されている駅舎を見るのが、辛くなった。
陸別を中心とした国道、道道は極端に交通量が少ない。
対向車にはめったに会わない。
その代わり、陸自の軍用車両の列には何度も出くわした。
陸別国道と言う愛称は、陸自街道と変えた方がいい。
十数台の軍用車両の車列に何度もすれ違うと、ドキッとする。
北海道は、仮想敵国・ソ連に対する最前線だったのだ。
津別の木材工芸館に立ち寄って、思いがけない展開となった。
置戸の森林工芸館を紹介された。 往復2時間かけて走った。
「北の我が家」 から、「我が家」 に家内を帰して、
一人旅を続けながら、ず~っと気にかけていたことが一気に解決した。
行く先々で、いろんな方のご厚意に助けられている。
ありがたいことだ。
今夜は、またも網走の道の駅。
着いたときは道が乾いて、青空が覗いていたのに、降ったりやんだりだ。
傘をさせば 「蒸気船」 に行けるだろう。